ホーム; きういの妊娠記録; きういの切迫早産入院日記; プライバシーポリシー; 特定商取引法に基づく表記; 手遊び 【手遊び】カレーライスのうた(歌詞・動画付 … 「激ウマ!簡単に出来るドライカレー♪」の作り方。炒めるだけで出来るカフェなみのドライカレー♪殿堂入り大感謝♪「殿堂入りレシピも大公開!クックパッドの大人気おかず」に掲載 材料:豚ひき肉、玉ねぎ、おろししょうが.. 4歳児におすすめの手遊び歌2. 手遊び 【歌遊び】サメのかぞく「baby shark日本語版」(歌詞・動画付き) 2019年10月4日 rikimaru1289. 購入はこちら ※本商品はダウンロード版のみの販売となります。 絵本男子はイケメン男子が絵本を読み聞かせしている動画や絵本をご紹介するサイトです。子育て中のお母さんや保育士さん、絵本男子に癒されながら素敵な絵本と出会えるきっかけの場所としてご活用く … イギリスでは「curry and rice(カリーアンドライス)」の他「Curried rice(カリードライス)」とも呼ばれる。日本語では省略して「カレー」と呼ばれることが多く[注 1]、ラーメンと並んで『日本人の国民食』と呼ばれるほど人気がある料理である[4]。 小中学校の給食メニューの人気アンケートでもつねに上位に挙げられている[5][6]。, インドのカレーよりとろみが強くなっているのは、インドからイギリスに伝わった際に、シチューと同様に小麦粉によってとろみをつけるようにレシピが変化したため[7]。また、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたからという説もあり[8]、イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル社により生産されたカレー粉がフランスに渡り、フランス料理のカリー・オ・リ(curry au riz)の名の西洋料理になった[9]ともいわれている[10]。, 日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物は福沢諭吉の「増訂華英通語」(1860年、万延元年)で、「Curry コルリ」という表記があり、これが始まりであると言われている[11]。, カレーライスの調理法を初めて記載したのは、1872年(明治5年)に出版された敬学堂主人『西洋料理指南』[12]である。食材として「ネギ・ショウガ・ニンニク・バター・エビ・タイ・カキ・鶏・アカガエル・小麦粉・カレー粉」を挙げている[13]。同書はインドのチャツネも掲載しているが、カレーとは結び付けられていない[14]。また、同年に出版された仮名垣魯文『西洋料理通』では、食材として「牛肉・鶏肉・ネギ・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉」を挙げている。, 小菅桂子は、材料に蛙肉が入っているところから、フランス料理の要素が取り入れられた可能性を指摘している[9]。しかし蛙肉を使ったレシピはあまり普及せず、ネギ(長ネギ)も大正時代にはほぼタマネギに置き替わった[10][15](後述)。現在、カレーの具として普及しているジャガイモ・ニンジン・タマネギは、明治のはじめにはまだ珍しい「西洋野菜」であったが、開拓地の北海道を中心に徐々に生産が広がった[3]。国産の安価なカレー粉が登場したこともあいまって[3][16]、大正時代の頃に現在の日本のカレーライスの原型が完成したと考えられる[3]。, 1905年(明治38年)、大阪・瓦町の薬種問屋の二代目今村弥兵衛が、国産初のカレー粉「蜂カレー」を発売した[17]。この会社は現在もハチ食品としてカレーの製造販売を行っており、日本最古のカレーメーカーである。, 1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」から、初めての即席カレーといわれる「カレーライスのたね」が発売された。その内容は不明だが、肉やカレー粉の固形化されたものであり熱湯を注げばカレーとなるものとされる[18]。さらに1914年(大正3年)には、東京・日本橋の「岡本商店」から「ロンドン土産即席カレー」という即席商品が発売されている[19]。, 1926年(大正15年)にハウス食品が、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタントカレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売した。, 1945年(昭和20年)11月、オリエンタルが、カレーが家庭料理に普及しつつあることに着目し、当時のカレーは炒めた小麦粉にカレー粉を混ぜるなど調理に手間がかかるものであったことから、その手間を省いて簡単に調理できれば売れると考え、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレールウ「オリエンタル即席カレー」を完成させた。当時は日本の一般家庭の食卓にスプーンがなかったため、オリエンタル即席カレーの景品としてスプーンを付け、洋食のスプーンを一般家庭に広めた。, 固形カレールウは、1954年(昭和29年)にエスビー食品が初めて発売した。昭和30年代からテレビによるCMを主とした各製造販売会社の販売合戦が起こり、即席カレーの生産と消費が急増した[20]。1960年(昭和35年)江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できる「グリコワンタッチカレー」を発売した。現在の日本の家庭では、インスタントカレールウを使って調理することが多い。, 2017年(平成29年)、個食ニーズと時短ニーズ満たすレトルトカレーの需要が拡大、調理が必要なルー消費は減少が続き、レトルトの購入額が初めてルーを上回る[21]。, 明治時代初期においてカレーライスは、限られたレストランで食することが可能な高額のハイカラ料理だった[16]。鹿鳴館時代に神田の「丸久」という店では九銭だったという(同店ではコーヒーが一銭五厘だった)。, 1905年(明治38年)、道修町の薬種問屋「大和屋」(現・ハチ食品)の二代目今村弥兵衛が日本初の国産カレー粉を開発し、この店に使用された[22]。, 明治時代後期頃までは西洋料理店がカレーライスの主な媒介的存在となっていたが、明治時代末期より食堂のメニューにライスカレー・カレーうどん・カレーそばが出るようになってから次第に大衆化されていった[15]。, 1910年(明治43年)、大阪・難波新地に、西洋料理店・「自由軒」が開業した。1940年(昭和15年)、織田作之助が小説『夫婦善哉』でこの店の「混ぜカレー」(または「名物カレー」)[注 2]を紹介して有名になった。当時の店主が「ご飯は冷めても[注 3]、熱いカレーと混ぜることで、熱々のカレーになる」[24]「どっちみちご飯とカレーを混ぜるのやったら、はじめから混ぜといて、熱々をたべていただくのがよろし‥」との考えから、カレーソースとライスをあらかじめ混ぜる提供方法にし、中心に生卵を載せて出される[22]。ウスターソースをたっぷり掛けて食べることが勧められている。, 大正時代後期(関東大震災後)には、東京庶民が気軽に利用してきた外食店の蕎麦屋が、カレー南蛮やカレー丼のような和洋折衷料理を出すようになり、また和・洋・中となんでも扱う大衆レストランでも、比較的安価な洋食として、人気メニューとなった[16]。, 1927年(昭和2年)、東京の「新宿中村屋」が喫茶部を開業し、「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出した。日本で初めての本格的な「インドカレー」で[注 4]、高値にもかかわらず1日300食を売り上げたという[25]。, 1929年(昭和4年)、大阪・梅田に開業した阪急百貨店大食堂のライスカレー(20銭)は、比較的低価格で本格的なカレーが味わえるということで人気を集めた。また、ライスカレーを食べる余裕のない客が白飯のみを注文し、卓上のソースをかけて洋風な気分だけを楽しむ「ソーライ」(ソースライスの略)という食べ方も流行した。, 日本におけるインド人による初の本格的なインド料理店は、1949年(昭和24年)にA.M.ナイルが東京銀座で開店した「ナイルレストラン」である。続いて1954年(昭和29年)にジャヤ・ムールティが東京阿佐ヶ谷に「アジャンタ」を開店している。A.M.ナイルの息子G. 手遊び歌「オムライスのうた」(カレーライスのうたの替え歌)ひまひよオリジナル歌詞 [Nursery Rhymes & Finger Plays]#家で一緒にやってみよう#StayHome - YouTube カレーライスは、カレーを米飯にかけて食べる料理。近年では、日本独自の進化を遂げたオリジナルスタイルのカレーライスも数多く存在する。, インド料理を元にイギリスで生まれ[1]、日本には明治時代にイギリスから伝わり[2]、日本で独自に変化した料理である[3]。 手遊び歌「オムライスのうた」(カレーライスのうたの替え歌)ひまひよオリジナル歌詞 [Nursery Rhymes & Finger Plays]#家で一緒にやってみよう#StayHome 子どもたちに人気の「カレーライスのうた」の替え歌です。 絢香( あやか ) 歌詞 初回盤のみ100枚に1枚ゴ一ルドチケット封入 (※ゴ一ルドチケットをGETした方にはスペシャルな特典があります!詳しくは絢香公式サイト www.ayaka.tv) ※初回盤がなくなりしだい通常盤に切り替わります。ご注文はお早めに。 M. ナイルはナイルレストランを引き継ぎ、そのキャラクターが買われて芸能人としてもメディアで活躍した。, 一方「欧風カレー」は、1973年(昭和48年)創業のカレー専門店「ボンディ」の創業者である村田紘一によって名付けられたものである。和風のもっちりとした米飯にフィットするカレーソースを追究し、ブイヨンなどの欧風だしの研究を重ねていた日本において、村田はフランスで学んだデミグラスソースを中心においたカレーを研究し、現在より40年前に初めて“欧風カレー”の名を他店に先駆けてメニューに加えた。そして、彼の名づけた「欧風カレー」は日本の料理界を席巻した[26]。, 1876年(明治9年)、札幌農学校(のちの北海道大学)に教頭として着任したクラーク博士は、ライスカレーという言葉を考案した人物として伝えられているが、開拓史の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』(1872年)で「タイスカレイ(ライスカレー)」という言葉がすでに使われている。またクラークは寮での米食を禁止し、ライスカレーのみを例外としたといわれているが[27]、吉田よし子(『カレーなる物語』)の調べによると、その記録は北海道大学に現存していない。, 発見されたカレーライスに関するもっとも古い資料は、1877年(明治10年)9月のカレー粉の納入記録と1881年(明治14年)の寮食メニュー[28]であった。当時の日本では、ニンジン、ジャガイモ、タマネギといった西洋野菜がほとんど普及していない状況であった。北海道の気候は、ケプロンやクラーク博士出身のアメリカ合衆国マサチューセッツ州とよく似ており、彼の地の西洋野菜の栽培技術を学ぶに最もふさわしい土地であった。, 札幌農学校には、次々と多様なアメリカ産野菜の栽培品種が持ち込まれ、数々の成果を収めた。北海道はこれを機に大規模な西洋野菜の作付を行い、欧米野菜の大衆化に貢献した。日本のカレーライス普及には、ホーレス・ケプロンのほうが、より貢献しているという説もある[29]。, 前述の通り、明治5年(ほぼ1872年)に「西洋料理指南」と「西洋料理通」にカレーライスのレシピが紹介されているが、翌年の1873年(明治6年)には、早くも陸軍の将校生徒を養成する陸軍幼年学校において、土曜日の昼食に「ライスカレー」が導入されている[10]。1908年(明治41年)には海軍においてもイギリス式のカレーが採用された[1][30]。また1910年(明治43年)には、陸軍においても陸軍将兵全般が、日常の軍隊生活で食す「兵食」として「カレー、ライス(カレー汁掛飯)」が採用された。徴兵期間を終えて除隊した兵士達が、軍隊生活で慣れ親しんだカレーライスを郷里の家庭などで作ったことも、カレーライスが広まることに大きく寄与した[1][30][31]。, レシピにおいて、『海軍割烹術参考書』[注 6]によると、海軍の「カレイライス」はヘットで狐色に煎った小麦粉にカレー粉を加え「スープニテ薄トロノ如ク」溶くと書かれているのに対し[32]、陸軍の「カレー、ライス」(『軍隊料理法(明治43年)』[注 7])には出汁についての記載はない。『軍隊料理法』をもとに昭和期に改訂された『軍隊調理法(昭和12年)』では、第2章調理法24項のカレー汁の備考に「ア、温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる」との記述があり、カレーを汁物として記載している。, 海軍では、土曜日の昼食はカレーライスと決められていた[1][31]。これは海上自衛隊にも引き継がれ[1][31]た。巷間、交代勤務となる長期航海中に曜日感覚を取り戻すためだと言われている[33]が、これは謝りである(海軍カレー#誤り3:金曜のカレーは曜日を忘れないようにするため)[34]。週休2日制となってからは、金曜日に変更されているが、全ての部署でカレーライスを食べ[1][31]、行事の際に来賓に振舞ったり、防衛省公式サイトなどを通じて一般へのレシピ公開を行ったり、かつて軍港のあった町の名前を冠した「海軍カレー」がレトルト食品や缶詰製品を発売している。, 陸上自衛隊でも、各部隊ごとに独自のレシピ[注 8]によるカレーライスがあり[注 9]、催事などでは一般の見学者に振舞われている[注 10]。, 第二次世界大戦後、アメリカ空軍に倣いながらも、旧陸海軍航空部隊(陸軍航空部隊・海軍航空部隊)の元将兵らによって創設された航空自衛隊にも同様のカレーがあり、基地の食堂毎にアレンジしたカレーがある。神奈川県横須賀の海軍カレーは今も名物である。, 第二次世界大戦後には、学校給食のメニューにもカレーライスが全国的に採用されるようになった。カレーライスが学校給食のメニューに登場したきっかけは、食糧事情の悪かった終戦直後の1948年(昭和23年)、連合国中では日本の友好国だったインドから大量にスパイスの提供を受けたこと[35]、エスビー食品創業者の山崎峯次郎などカレー業界関係者が需要拡大のため尽力した[36]ことが関係している。, ただし米飯給食が開始された1976年以前には、カレーライスとしてではなく、カレーシチュー[注 11]としてうどん玉(地域によってはソフト麺)やコッペパンとの組み合わせで出されることが多かった。, カレーシチューはカレーと比較すると、特に初期においては粘度が低い点[37]、クリームシチュー同様牛乳や脱脂粉乳など乳成分が大量に使用され白みがかっている点が特徴となっている。粘度が低かった理由としてはコッペパンやソフト麺との親和性が高かったこと、原材料の不足により、濃度を薄くせざるを得なかったことなどが理由であるとされている[36]。昭和35年頃、ラジオの民間放送に次いでテレビCM合戦が激化し、学校給食のメニューであったカレーが、一般家庭で多く作られるようになった[20]。, カレーライスが家庭料理として普及しはじめた大正時代は、小麦粉とカレー粉をバター等で炒めてカレールウを作り、これを鰹だしなどで伸ばしてカレーソースを作っていた[46]。現在は湯で溶かすだけでカレーソースが作れるインスタント・カレールウ製品が普及している。カレーソースはターメリック(ウコン)に由来する「黄」が本来の色であるが、時代を下るとともに色が濃くなる傾向が指摘されている[47]。その理由として、黒くて激辛の「カシミールカレー」で有名な東京上野のカレー店デリー[注 13]や、フォン・ド・ヴォーやグレイビーソースを使う「欧風」カレー店の影響が考えられる。現在は着色料としてカラメル・イカ墨・黒ゴマ・ココアなどが積極的に利用されている。白色、緑色、青色を売りにするカレーも登場している。, NHKの番組が、プロが用いる隠し味トップ3として、1位オイスターソース、2位ココア、3位生クリームと伝えたことがある[48]。, 日本のカレーの具にはジャガイモ[注 14]・ニンジン・タマネギ[11]が使われている。これらが定着したのは明治時代の終わり頃である[10]。タマネギが使われ始めたのは明治20年以降であり[15]、それ以前はタマネギの代わりに長葱が使われていた[10]。野菜は具材として煮込む以外にも、素揚げやふかすなどした温野菜として添える場合もある。昭和期にはグリーンピースを飾りとして散らす事が、よく行なわれていた。, 日本でカレーの具によく使われる肉は、豚肉・牛肉・鶏肉である[50][51][52]。NTTドコモ「みんなの声」にて投票を実施した2012年調査では『1位:豚肉、2位:牛肉、3位:鶏肉、4位:野菜のみ、5位:シーフード』[50]であり、ドゥハウスの2010年アンケートでも『豚肉42%、牛肉35%、鶏肉25%の割合順で好まれる』[51]という結果が発表されている。地域・年齢・性別による違いがあり[53]、50歳以上(とくに男性)は牛肉を好む傾向があるという[52]。1960年代の高度経済成長以降、肉の塊をたっぷり入れたカレーライスも珍しくなくなっている。, これ以外にも様々な具を使用したカレーがある(バリエーション、ご当地カレーを参照)。日本ではカレーの辛味の度合いに応じて「辛口」「中辛」「甘口」などの区分があるカレールウやレトルトカレーも存在する。ただし辛味の度合いは日本国内で統一された基準は存在せず、メーカー各社の区分けになっている。, 日本においては伝統的な嗜好からジャポニカ米が用いられるのが一般的である。インドや東南アジアやヨーロッパでは、粘り気がなくパラパラとした食感のインディカ米が使用される。日本では1993年米騒動の際に、タイ王国からインディカ米が緊急輸入されたものの、ジャポニカ米との風味の違いにより日本人に忌避された。やがて南国風のカレーと相性が良いことが知られるようになった。香り米の一種として知られるジャスミンライスや、サフランで香り付けしたインディカ米を使うアジア料理店も増え、日本人にも支持層が広がってきている。, 日本のカレーにおける付け合せは、福神漬やラッキョウ漬けを使用する事が一般的である。店によっては紅しょうが、ピクルス、レーズン、ナッツ、あるいはチャツネやオニオンスライス、アチャールなどを添えることもある。最初に福神漬を添えることを考案したのは、日本郵船のヨーロッパ航路船でコックを務めていた「タキサダ・サダイチ」とされている。また、それらの付け合せ以外に、サラダをカレーの副食として食べることも多い。飲み物は辛さを和らげる牛乳やラッシーなど、あるいは水が添えられる。, 日本では、カレーが米飯の上部かつ横にかけられ皿に盛られた状態と、ソース・ボート(Sauce boat)またはグレイビーボート(Gravy boat)と呼ばれる金属の容器に、カレーソースが分けられた状態のどちらかで供されることが多い。後者の場合はソースボートの容器からカレーを米飯にかけて食す。容器の名称は、日本では「ソースポット」「グレイビーポット」という表記も見られる。, カレーライスを食する際、スプーンに米飯とカレーを乗せるのみで混ぜない食べ方と、あらかじめカレーと米飯を混ぜる食べ方とがある。インドやスリランカなど南アジアでは、混ぜて手で掴んで食べるのが作法であり、また日本でもカレー粉を用いて作る「黄色いカレー」の時代には、ウスターソースをかけた上でよく混ぜる食べ方がスタンダードであったが、近年の日本では前者が多数派であるとされ、混ぜた上での食べ方を「汚い」と断ずることで、しばしば後者との対立が引き起こされる。生卵を割り入れたり、ソース以外にも醤油やマヨネーズなどの調味料をかけて食べる向きもあり、食べ方は多岐に渡る[54][55]このため食べ方が話題になったり議論が発生したり[54]、性格判断の要素に用いられたりする[55]。, 黒部ダム(富山県)、八ツ場ダム(群馬県)の近くにある観光施設では、トンネル工事の従事者が飯に汁をかけることを、崩落や落盤を連想させて縁起が悪いと嫌ったことから、カレーを米飯にかけず、スプーンに乗せた米飯をカレーに浸して食べるようテーブルマナーとして要請する場合がある。, 一晩寝かせたカレーはうまい、との説が巷間に広まっており、家庭において残り物のカレーを鍋ごと常温で放置する例が見られる。確かに具材の旨みがカレーソースに溶け出すことや、日本人の苦手な刺激臭が和らぐことなどの効果は認められる。, だが、その一方で常温で急速に細菌が繁殖し、特に100度以上の高温でも芽胞として生存するウェルシュ菌の増殖を促進することになる。ウェルシュ菌は最速で10分に1回増殖し、菌数は倍々で増えて行くため、調理後、常温で半日(5時間 - 12時間)以上経過すると、食中毒が発生する可能性が高くなる。さらに、インドカレーの大きな特徴である、スパイスの香りの大部分が揮発してしまうため、調理後はなるべく早く食し、残ったものも小分けして冷蔵庫で保管すべきである[56]。, 一晩ねかせたカレーが美味であるのは、具材、ブイヨン、スパイスのそれぞれについて理由があるとするメーカーもある[57]。, カレーライスは、「ライスカレー」と呼ばれる事もある。2つはどう違うのか、また「カレーライス」との名称が主流となっていった理由については諸説があり定かではない。, 歴史的に見ると、イギリス人から「カリードライス(英語: Curried rice)」として紹介され、明治後期から大正時代にかけ新聞や雑誌では「ライスカレー」と呼ばれる事が多かった[58][59]。1872年、北海道開拓使の公文書で「タイスカリイ」(ライスカレー)という語が、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録で「カレーライス」という語が使われており、日本では当初から2つの言葉が使われていたことが分かっている。, 戦前の軍隊の場合、陸軍において明治期編纂(明治43年制定)の『軍隊料理法』では「カレー、ライス」と、昭和期編纂の『軍隊調理法』では「ライスカレー(「備考 イ、温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる。」)、海軍において『海軍割烹術参考書』では「カレイライス」と称されていた。昭和期の一般市民の間では出身者が圧倒的に多い陸軍式の「ライスカレー」という名称が優勢であった。同じデパートの中で、別の食堂がライスカレーとカレーライスをメニューに載せていた例も存在した。『阪急百貨店二十五年史』によれば、1959年(昭和34年)のメニューにおいて、大食堂のライスカレーが70円、グリルではカレーライスが100円で供されている。, 敗戦後の高度経済成長期を迎えると共にカレーライスという呼び名が台頭してきた。高度成長期の昭和30年代以降に家庭用の固形ルウが市販されるようになった頃から、広告宣伝やマスコミなどの影響により「カレーライス」という名称が浸透していったと推定される。時期的には1964年東京オリンピック開催の前辺りから「カレーライス」呼称が優勢になったとされる[58][59]。, 国民食とも言えるカレーライスは、さまざまな方式でインスタント食品化され人気を得ている。, 他にも缶詰の製品やフリーズドライ(凍結乾燥)による携帯用カレーなどが支持されている。, カレーライスは外食店の定番メニューともなっている。京王電鉄沿線では 、JRにおける立ち食い蕎麦店の位置をカレーライス専門店のカレーショップC&Cが占めているほどである。チェーン店は、カレーハウスCoCo壱番屋やカレーの王様など多数あり、ゴーゴーカレーなどは松井秀喜選手との関係で海外でニュースになることもある。 2013年(平成25年)には、「カレーハウスCoCo壱番屋」が「世界で最も大きいカレーレストランのチェーン店」として、ギネス世界記録に認定されている[64]。, 1990年代後半頃から町おこしを目的として、日本の各地方の特産物を使用したカレーが続々と発売されており、それらは「ご当地カレー」と呼ぶ。地方のカレー店(ホテルなど)のカレーもこれに含む。, カレーは地元をアピールする為の食材を利用しやすく、地名を入れて名づけた製品が多い。インターネットの発達によりパッケージや調理例の写真が簡単に広く宣伝をする事が出来るので、このような町おこしの材料として開発されるご当地カレーは日本各地に見られる[66]。昭和時代初期頃には、地元で豊富に存在した食材(北海道 - タコ、福島県 - ホッキ貝、熊本県 - 馬肉など)を利用したカレーが、地方によって食べられていた[3]が、新たに作り上げた名物が多い。, 戦後27年間米軍統治下にあった沖縄県では、日本本土とは異なり戦前のレシピに基づくカレー粉から作るルーを使用した「黄色いカレー」が今も現役である[67]。調理法は作りおきではなく、注文が入ってから野菜と肉を炒め、そこにスープや和風だしを加えて少しだけ煮込み、小麦粉とカレー粉を炒って作ったルーを溶かし入れるというスタイルが多い。また定番の野菜として、たまねぎ、にんじん、じゃがいもの他にピーマンが入るのが大きな特徴である。, 日比谷公園にある松本楼が「10円カレーチャリティ」と銘打って、毎年9月25日にチャリティーとして10円のカレーライスを供している。1971年(昭和46年)11月19日、いわゆる「日比谷暴動闘争」で中核派の投げた火炎瓶を受け全焼したが、これを1973年(昭和48年)9月25日に再建した事に対する記念行事である。, イギリス領インド帝国は、第二次世界大戦後の1947年に、インドとパキスタンに分かれて独立した。インドには菜食主義者が多く、豆などの野菜を使ったカレーソースが主流である。またインドに多いヒンドゥー教では牛肉が、パキスタンに多いイスラム教徒では豚肉が禁忌になっているため、鶏肉・羊肉・山羊肉が使用される。使用するスパイスは多岐を極め、一般家庭でも日本では入手困難なものまでを独自に配合する。, 日本にカレーライスを伝えたイギリスには、日本のカレーライスの原型といえる「カリーアンドライス」(curry and rice)がいまでも存在する。パブ(大衆酒場)、クラブハウス(ゴルフ場)、学生食堂などで気軽に食べられる庶民性は日本のカレーライスと共通し、冷凍食品もスーパーマーケットで売られている[68]。もともとポピュラーな家庭料理であったが、現在は家で作られることは少ない。その理由として、元植民地だったインド・パキスタン・バングラデシュから来た移民たちによって、本格的なインド料理を出す店が数多く生まれたことが挙げられる。, 「咖哩」(カーリー)もしくは「珈竰」(発音同じ)と表記される。中華料理の咖哩飯は、カレー味の中華丼と考えれば理解しやすい。中国ではホテルのレストランなどで洋風、インド風のカレーが提供されるほか、日本料理レストランや日式拉面店(日本式ラーメンの店)では日本のカレーが出される。日本風のカレーライスは一般の中国人にはあまりなじみのない料理だったが、CoCo壱番屋などの進出により徐々に広まりつつある。, イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランにカレーライスを出す店が少なくない。その場合、日本のものよりもとろみが少ない、ココナッツの風味を加えた品を出す店が多く、カレーと白飯が別容器で出ることもよく見られる。また、香港ではたびたび日本食ブームが発生しており、日本式のカレーライスも広がっている。一方でインドなど南アジア系の住民が多いため、本場の味を継承する店舗も多々見られる。, 台湾には日本統治時代にカレーライスが持ち込まれ、「日式咖哩飯」(リーシーカーリーファン)という名前で、今でも屋台や食堂で気軽に食べることができる。片栗粉でとろみをつけた、具の少ない日本統治時代のカレーライスに近いものである。近年はココイチが進出しており、日本のカレールーも浸透してきた。, 大韓民国でも日本統治時代に伝えられた食べ物であるカレーライスを食べる。「カレバップ(카레밥、カレー飯)」とも呼ぶ。韓国のカレーは、汁気が多く、甘口である。カレーそのものは日本の黄色味が強い合成カレールーがベースであり、子供向けのカレーにそっくりである。平成以降の韓国国内においては、日本の大手チェーン店が出店し人気となっている[69]。, 米飯とカレーをよくかき混ぜて食べる。付け合せはキムチやタクァン(沢庵漬け、近年では固有語式にタンムジと呼称)であり、外食店では日本スタイルの味噌汁やかつおだしのスープが付くことも多い。日本にカレーライスの類似料理でハヤシライスがあるように、韓国にはカレバップに並ぶ料理としてチャジャンバップ(チャジャン飯)がある。レトルト食品もカレーソースとチャジャンソースの比重がほぼ同等である。, 北朝鮮にもカレーライスは伝わっており、韓国と同じく戦前の日本統治時代に持ち込まれた。現在では家庭料理としても定着している。平壌のデパートでは日本製のカレールウが販売されている。, 明治初期から日本人移民の多いハワイでは、日本料理店だけでなく、大衆レストランや伝統的なハワイ料理店のメニューにもカレーライスが載っていることが多い。日本の明治・大正期的な黄色いカレーが主流であるが、近年はカレーハウスCoCo壱番屋の進出や、タイやベトナムなどからの移民の増加により、さまざまなバリエーションのカレーが食べられるようになっている。, 傍系の「せんば自由軒」は「インデアンカレー」と呼んでいるが、「自由軒」側は同店を「無関係」として扱っている, 原因として「当時はご飯を保温できる機械がなく、お客様に熱々のカレーをお出しすることができませんでした」との説明があった。, 「初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リ別ニ「フライパン」ニ「ヘッド」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ンド煮エタルヲ入ル可シ)弱火ニ掛け煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之ヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ塩ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス」。, p117「其の九 カレー、ライス(カレー汁掛飯) 鍋に少量のヘットまたはラードを入れ、その中にできるだけ細かに刻みたるタマネギとカレー粉とを適宜に入れてよく焚き、これにメリケン粉と賽の目形に切りたる肉とを混ぜ、湯をつぎ塩を加え、またわずかの酢を入れ、1時間ほど煮るなり。これを飯に注けて用いるなり。飯はなるべく硬めに炊くを可とす。(注意)カレーの中に金物を長く浸け置くときは毒あり。またこの料理は毎日用いるはよろしからず。1週間に1,2度を適度とす」。原文縦書き。平仮名、新字体等に変更、句読点を補った。原文は下記出典を参照。, カレーのスープに豚骨や鶏ガラ・各種野菜等をベースにした出汁を使用し、駐屯地栄養士による材料や調理法の指定以外に実際に調理を行う糧食班の責任者によるアレンジがあり、その調理法や味の決め手はそれぞれ担当者により異なる。同じ材料であるはずが調理責任者が替わることで味が大きく変化する場合も存在している。, 主に地域の特性を生かした材料等を活用しており、その代表としては旭川第2師団の「北鎮(大雪)カレー」等が存在する。, 旭川駐屯地の北鎮カレーは通常金曜日に提供されているが、防衛省の高官等が来隊する際に来隊日に合わせて提供される事もある他に、地元関係者が来隊する際にも振る舞われることがある。関係者以外でも味わえるようベル食品によるレトルトカレーとして再現され、旭川駐屯地内厚生センターや北鎮記念館などで購入することができる他に、ベル食品のサイトでも購入できる, 「辛さ○倍」という表現は1974年東京に創業したインドカレー専門店「ボルツ」とされる, 『これは役立つ!違いのわかる事典』 p.179 PHP研究所 1997年(諸説ある中の一説として紹介), すぎはらめあり「日本の国民食『カレー』誕生秘話!レトルト発売はいつ?当時のレシピも紹介」, 「いまどきのカレーに関するアンケート」調査結果発表(調査期間:2010年1月13日 - 同年1月15日), http://cp.glico.jp/story/curry/science1.html, 壱番屋/世界最大のカレーチェーンでギネス記録認定|流通ニュース 店舗経営戦略|2013年01月21日, 国立国会図書館 第129回常設展示 暮らしを変えた新製品 〜身近なモノがデビューした頃 製品番号:1 カレーライス, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=カレーライス&oldid=81495669, 米飯とカレーソースが別々に、あるいは横長の深皿で左右に寄せて出されるハイカライメージのものがカレーライス、ご飯の上にカレーをかけた大衆的なものがライスカレー, とろみの強いものがライスカレー、さらっとしたものがカレーライス(逆の意見もある)。, 「高粘度のカレーソース」「福神漬とラッキョウが添えられている」「水の入ったコップにスプーンが入っている」「ニンジンとジャガイモは大きめ、グリーンピースが三つ」「冷えるとカレーソースに膜が張る」と「ライスカレーを定義している」(テレビドラマ『, 水野仁輔『カレーライスの謎‐なぜ日本中の食卓が虜になったのか』(角川SSC新書 40), 浜内千波、竹内冨貴子(共著)『カレー大全科 カレーの魅力再発見 含まれる香辛料の驚くべき多彩な効用』, 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会編『カレーブック 本格的カレーライスからデザートまで』生活クラブ事業連合生活協同組合連合会、1993年10月。, とことんカレー研究会編『カレーの雑学王 このネタはちょっと激辛いぜ!